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【がん患者に「心の薬」 2003年5月12日読売新聞掲載 文-尾之内 潤】

闘病仲間、家族と癒し共有の会「交流広げる安岡さん母子」

「あやちゃんどうやった。だいじょうぶやったんやろ」。平成15年3月17日の夜、 高知市内の安岡佑莉子さんの自宅に電話がかかった。長女英子(あやこ)さんのがん再発検査の結果を問うがん患者会の仲間からの電話だ。「ありがとう。おか げさまで」。安岡さんは電話口で何度も頭を下げた。
胃の2/3を切除する手術から3年半。この日の検査で再発の恐れはまずないと診断されたのだ。受話器を置いたとたん次の電話が、そしてまた次の電話が。仲間からの電話はしばしば鳴り止まなかった。
4年前の1999年9月安岡さんは高松市内の病院で医師と向き合っていた。英子さんの腹痛の検査結果を聞くためだ。医師は押し黙ったまま安岡さんにメモ を渡した。「胃がんです。時間がありません」。女手1つで育てた娘。「まだ22歳なのに」。自宅に帰る途中の車の中で安岡さんは助手席の娘に打ち明けた。 「あんたの病気、がんで」。ハンドルを手に前方を凝視する安岡さんの耳に、しばらくしてむせび泣く声が聞こえた。
看護に容易な高知医大病院で手術。再発を防ぐため、抗がん剤を打ち続けた。副作用の吐き気、刺すような痛みで苦しむ娘の姿をそばで見守るしかなかった。英子さんの体重は34キロまで減った」。
再発の不安、たえることのない副作用の苦しみ。母子には同じ苦悩を共有できる仲間がほしかった。安岡さんは2002年11月新聞の読書欄に投稿した。 「心の癒しを共有できる会をつくりませんか」と。英子さんもPR用のポスターを作って病院に張った。
患者や家族約30人が応じた。担当医を顧問に「1つの喜びでも分かち合おう」と、「一喜会」と名付け、12月発足。

ayumi_pic_01「心まで病気になっては闘えません。夢や希望を持って頑張って生きます」。2003年1月、高知市内で開い た初会日で、英子さんは体験発表した。3月の会合ではすっかりうち解けた参加者が談笑する姿が随所で見られた。「次はもう来れんかもしれんけど楽しかっ た」と笑顔で会場を後にする患者もいた。「何より心の薬になりました」と話す人もいた。がんの専門誌を通じて神奈川県の患者会と交流。入手が困難な薬を調 達するなど県外との輪も広がり始めた。「一人でも多くの患者を、疲れ果てたその家族を癒すことができれば」。苦しみを経て生まれた安岡さんの決意は固い。

大きい患者会の役割
英子さんの主治医で「一喜会」の顧問の松浦喜美夫・仁淀病院院長「同じ立場の患者や家族がお互いの苦しみや不安を語り合うことは医者の力も及ばない癒しの効果がある。患者会の役割は大きく、情報提供など出来る限りサポートしたい」