がんサポートに掲載 一喜会会長 安岡佑莉子
高知らしさを大切に、高知ならではの心の結びつきを育てたい
1999年、ノストラダムスの大予言は、まさしく我が家に的中しました。高知恒例真 夏の祭典、「よさこい祭り」の興奮未だ冷めやらぬ9月、22歳の娘が思いもよらぬがんの宣告を受けたのです。「急いでください。時間がありません!」の声 に追いまくられるように、手術を受け、細胞検査の結果、1年以内の再発率80%というあまりにも厳しい現実に身を置いたとき、さまざまな葛藤や苦悩に耐え かねて、相談できる機関を求め。がん患者会を探しました。しかし私は、なんとこの坂本龍馬、中岡慎太郎、板垣退助生誕の地に、がん患者会が1つもないこと を知って愕然としたのです。「娘の命を助けてください。私のできることはなんでもします」苦しいときの神だのみ、といいますが、私は震える手を合わせて祈 りました。その甲斐あってか、もっとも危険だった1年目の壁を再発なく過ぎたころ、私はがん患者会の必要性を再確認しました。高知になければ、作ればよい のです。もしかしたら私にできるかもしれない。私が作らなければ、そんな使命感のような気持ちでした。まるで何かに背中を押されているかのように。
そしてがん告知から3年後の平成14年12月23日、一人でも多くの方に喜んでいただきたい、との思いから「一喜会」と命名してこの患者会を設立いたしました。
2ヶ月に一度の定例会は、乳腺科、消化器科、放射線科などそれぞれの講師を招いた、質疑応答や個人相談などの医療相談が中心です。1ヶ月に一度のおしゃべ り会では、日ごろ胸にたまった不安、不満などを何でも話し合い、心の癒しを目的にしています。毎月発送する会報には、会員の闘病記を中心に、活動の案内や お知らせを掲載しています。がん患者やその家族が、がんといいう病気に負けることなく、納得した医療を受けてほしい。心の重荷を少しでも軽くすることがで きれば。そんな思いでこの1年を歩んできました。
高知での初めての試みに戸惑い、悩み、手探りの毎日が続いています。「これでいい のか!もっとできることがあるのではないか」ボランティア参加のスタッフたちと、ともに模索し、計画を立て、心が1つになったと感じられるとき、幸福感に 包まれてます。たとえ我が子が5年間の間に再発転移がなく、無事に治癒さえすればそれでよし、と考えるよりも、国民の3人に1人ががんで亡くなる時代だか らこそ、がん患者会は自分の体験を社会に還元していくべきだ。と私は考えます。がん患者が手を結べば、今の医療をもっといいものに変えることができる。そ んな大きな目標を持っている同士の存在が嬉しくて!「一喜会」も設立から1年を迎えようとし、地盤も少し固まってきたのかな、と思い始めた去年の秋、1周 年記念講演を企画することになりました。スタッフ一同、「ああでもない、こうでもない」と夜遅くまで会議に明け暮れ、企画を立てて協力者を募り、ポスター を印刷して、一軒一軒にはらせていただくお願いをして歩きました。
そして東京からエッセイストで乳がん患者でもある田原節子さんを、京都から立命館 大学教授で前立腺がん体験者である高垣忠一郎さんを、そして高知の中村から小笠原望先生を講師としてお迎えし、平成16年2月1日(日)高知市文化プラザ のかるぽーとにおいて、無事に「一喜会」1周年記念講演を開催することが出来ました。当日、会場では久しぶりの会員たちの顔も多数見られ、嬉しい再開に 「元気やったかえ」「元気にきまっちゅう!」との声が飛び交いました。「がんと向き合う心のケア」と題した1周年記念講演は、盛況のうちに幕を閉じ、「次 の定例会でまた会おうね」の声に手を振りながら家路に着くがん患者、そして会員の家族の方々の顔は、明るく輝いていました。参加者達たちの晴々とした笑い 声は、明日からまた始まる闘病生活への自信であり、新たなる闘志でもあることでしょう。「1周年記念講演を実施することができて、本当に良かった」そう実 感できた1日でした。
地方には地方の良さを!高知には高知のよさを!心と心が結び合う、キラリとした患者会でありたいと、そんな気持ちを再確認することもできました。「自分は自分と考えるより、他人を思いやる気持ち、心を大切にせんといかんぜよ」坂本龍馬の声が聞こえてきます。